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信州には「ワイルドな衣」がいっぱい!
ぜひ信州に来て、見て、着て、感動してください。

ワイルドなアルクロクマって? プロフィールを紹介

牛に引かれて行く“善光寺”では、きらびやかな「御開帳」があるんだぜぃ! ワイルドだろぉ~

長野県地図長野県を代表する観光名所のひとつ、長野市にある「善光寺」は、どの宗派にも属さない非常に珍しい寺院で、創建以来約千四百年の長きに亘って、広く民衆の心の拠り所として深く崇めれてきました。

その善光寺に古くから伝わる有名なお話が、「牛に引かれて善光寺参り」。
『昔、信濃国小諸に心の貧しいおばあさんが住んでいました。ある日、川で布を洗い干していると一頭の牛が現れ、角に布を引っかけて走り出しました。その牛を追いかけて、おばあさんがたどり着いたのが善光寺。そこでおばあさんは、すっかり信心深い人間に生まれ変わりました。』とさ!。

牛に引かれて行くあたり、ワイルドだろぉ~(笑)。

善光寺御開帳公式ガイドブック

その善光寺では、数え年で七年に一度(つまり6年毎)、秘仏である御本尊の御身代わり「前立本尊」(鎌倉時代・重要文化財)を本堂にお迎えして行う「善光寺前立本尊御開帳」が行われ、約2か月に亘る期間中には約600万人もの来場者数があります。

なかでも、「中日庭儀大法要(浄土宗)」では、住職たちは頭に“水冠”という被り物をつけ、きらびやかな独特な法衣をまとい、回向柱の前では稚児たちによる“礼讃舞”が披露されます。

前回の御開帳は2021年4月~5月の予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大による影響で1年延期され、また混雑緩和のため開催期間を2か月から3か月に延長し、2022年4月~6月に開催されました。この間の参拝者数は約636万人。前回2015年の御開帳期間中の参拝者は707万人でしたので、コロナ禍が続く中で過去最高だった前回比で9割程度もの参拝者が訪れ、たいへん賑わいました。次回の御開帳は、もと通りの年次に戻すのか、まだ決まっていません。決まりましたらこのページでも案内させて頂きますので、その節はぜひ信州へお越しください。


「日本一寒いまつり」があるんだぜぃ! ワイルドだろぉ~

長野県地図長野県北佐久郡御代田町(みよたまち)の草越地区で、暦で最も寒いとされる大寒(1月20日前後)に行われる伝統行事「寒の水」は、「日本一寒いまつり」とも呼ばれています。

寒の水寒の水は、「水行者(すいぎょうじゃ)」と呼ばれるふんどし姿の男性が、冷水を浴びて地区内を駆け巡り、無病息災や五穀豊穣を祈るという寒行の一種です。かつては30人ほどの地元町民しか参加しない祭りでしたが、県無形民俗文化財に指定されてから広く知られるようになって、今では県内外からも100人近い参加者があり、賑わいをみせています。

寒の水は、昭和53年に町無形民俗文化財、平成元年に県無形民俗文化財に指定されています。


「あゝ野麦峠」の舞台なんだぜぃ! ワイルドだろぉ~

長野県地図あゝ野麦峠」は、戦前に飛騨の農家の十代の娘たちが、命がけで冬の雪深い野麦峠を越えて、長野県の諏訪や岡谷の製糸工場に働きに出て、劣悪な環境の下で富国強兵のための主要な輸出品であった生糸の生産を支えたという、山本茂実のノンフィクション小説で、映画やテレビドラマにもなり、それらを観た多くの人の涙を誘いました。

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幕末の頃から群馬や福島で行われ始めた生糸生産ですが、明治の末には信州(長野)が養蚕で日本一となり、さらには諏訪の職人達が最新の洋式器械の導入と改良に取り組み、また近代工場経営の手法を取り入れて諏訪や岡谷を中心に生糸工場が建ちならび、信州の生糸生産は日本の富国強兵を支える主要輸出産業に成長しました。昭和5年の日本の生糸生産量は40万トンにも及び、最盛期には日本の外貨獲得の5割を生糸が稼ぎ出していました。

また、長野県で生産されている絹織物は「信州紬」(しんしゅうつむぎ)と呼ばれ、昭和50年に日本の伝統的工芸品に指定されています。県内各地で生産される信州紬は、格調高い染めの技術と渋い光沢をもつことが特徴で、生産地ごとの独自性を活かして、「松本紬」「上田紬」「山繭(やままゆ)紬」「飯田紬」「伊那紬」とも呼ばれています。


袖が無い防寒着「なぎそねこ」があるんだぜぃ! ワイルドだろぉ~

長野県地図ねこ」は、長野県の南木曽(なぎそ)地域に昔から伝わる防寒着です。まるでスギちゃんのデニムベストの如く、袖のない「なぎそねこ」は、ワイルドなアルクロクマに似合いそう?(笑)。

背負い真綿 (グリン)/近江手引き真綿使用/長野県 ねこ 防寒着 /長野県南木曽では「ねこ」と呼ばれる背中だけの防寒着です。

ねこは、南木曽町の伝統工芸品の「ろくろ細工」や「桧笠(ひのきがさ)」などを作る際にも邪魔にならないように、袖無し(前身頃無し)にして、冷える背中だけを暖めるように工夫された「半纏(はんてん)」や「ちゃんちゃんこ」の様なものです。

ねこの名前の由来は、「ねんねこ半纏から」「作業している姿が猫背だから」「猫のように温かいから」など諸説ありますが、このねこに町名を冠したのが、「なぎそねこ」です。

南木曽町(なぎそまち)役場の職員の方々も、冬場は大勢がねこを背負って業務しているとのこと!。南木曽町には、有名な妻籠宿(つまごじゅく)もありますので、ぜひ一度、冬場の役場を見に(覗きに)行ってみてください(笑)。


熱湯釜の周りを仮面をつけて舞い踊り、煮えた釜湯をかけるんだぜぃ! ワイルドだろぉ~

長野県地図遠山郷*1には、800年も続くという、湯を煮えたぎらせた釜の周りを、神様や農民などを模した面(オモテ)と呼ばれる仮面をつけた被り手たちが舞い踊りつつ、その煮えたぎった釜湯をかけ合う、「霜月まつり」があるんだぜぃ!ワイルドだろぉ~!。

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「なぜこの祭りが“信州の衣”か?」だって・・・、仮面をつけているからだぜぃ!ワイルドだろぉ~(汗)。

国の重要無形民俗文化財に指定されており、遠山郷にあるいくつかの集落で12月上旬から日を違えて行なわれます。面の種類や舞の動き、囃子の仕方は地域ごとの違いがあり、大きく四つのタイプに分けられています。

「神様にお湯を差し上げる」「神様に湯を浴びていただきその穢れを祓い、清らかな魂を得て生まれ変わっていただく」という「神様の湯治場」を表した独特のスタイルから、宮崎駿監督に大きな影響を与えた祭でもあり、映画「千と千尋の神隠し」の製作の原点ともなっていると言われています。また、ドキュメンタリー映画作家の野田真吉の代表作『冬の夜の神々の宴 遠山の霜月祭』(1970年)の題材ともなっています。

*1 遠山郷とは、長野県の南端近く、天竜川の支流遠山川に沿って広がる山深い谷間の地域のこと。飯田市南信濃と飯田市上村に位置し、日本の秘境100選のひとつに数えられている。

熱した炭や日本刀の刃の上を裸足で歩くんだぜぃ! ワイルドだろぉ~

長野県地図上田市にある「白蛇神社」や、武石にある「一心神社」(地元では一心様と呼ばれています)等では、毎年春に「火渡り・刃渡り」が行われ、一般の人も火渡りや刃渡りをするんだぜぃ!ワイルドだろぉ~。

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御聖木を燃やした残り火の上を素足で歩き渡るのが「火渡り」、ハシゴに組まれた日本刀に足をかけ上り下りするのが「刃渡り」。修験者による荒行の一つです。導師や行者による護摩焚きと火渡り・刃渡りの修行の後、一般の人も参加して火渡り・刃渡りが行われます。火渡りを行った人は、一年間「無病息災」で過ごせると言い伝えられています。

またしても「なぜこの祭りが信州の衣か」だって?、細かいことは気にしない!ワイルドだろぉ~(笑)。


蓑の下にも田んぼがあるんだぜぃ! ワイルドだろぉ~

長野県地図千曲市八幡地区には、善光寺平を一望する姨捨(おばすて)の傾斜地に、今でも約2千枚もの棚田が残っています。1999年に棚田として全国ではじめて国の名勝「姨捨(田毎の月)」に指定され、同年には農林水産省の「日本の棚田百選」にも選ばれました。

蓑と笠の絵この地には、古くから伝わる、「四十八枚田の伝説」という逸話があります。
『昔むかし、年貢米の取り立てに訪れた役人が、棚田に着くと雨が上がったので、蓑笠(みの・かさ)を脱いでから田の数を数えたところ、どうしても一枚数が足りません。明日もう一度数え直すことにして、帰り支度をしようと蓑と笠を取り上げると、その下から蓑に隠れていた棚田が一枚見つかりました。』とさ!。

昔は、蓑に隠れるほど小さな田でも大切だったという訓(おしえ)です。どうよ、“衣”にまつわるワイルドなネタだろぉ~?(笑)。

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姨捨は「名月の里」、その棚田は「田毎の月」とも称され、風光明媚な景勝地として有名です。四十八枚田を寺領とした長楽寺は、月の名所として、芭蕉や宗祇をはじめとする多くの文人墨客がこよなく愛し、「俳譜の聖地」とも言われています。境内には多くの句碑・歌碑が並び、中秋の名月頃には「信州さらしな・おばすて勧月祭・全国俳句大会」が開かれます。もちろん、全ての棚田に一斉に月が映るわけではありません。田に水の入る田植の頃に畦道を歩いていると、月が一緒に追いかけてきて、それぞれの田毎に月が映り変わっていく様を、「田毎の月」と詠んだものです。

また姨捨には、『楢山節考』のモデルとなった「姥捨伝説」(棄老伝説)が伝わり、長楽寺には姥捨ての場所とされた「姨石(姨岩)」が残っています。さらに姨捨駅は、2007年の日本経済新聞社『足を延ばして訪れて見たい駅』アンケートで全国第2位に選ばれたほか、全国でも数少ないスイッチバック方式を擁する駅として、鉄道ファンには有名です。

長野道の「姨捨SA」(高速バスも停車)から、あるいはJR篠ノ井線の「姨捨駅」から、長楽寺や姨捨の棚田を見学(観光)することが可能です。棚田のある姨捨の道は、とても狭くて急です。車は停めておいて、下りは歩いて見学、上りは市内循環バスを使うのがお勧めです。


灰で縄を編むんだぜぃ! ワイルドだろぉ~

長野県地図千曲市にある「姨捨山」には、以下のような伝説が伝わっています。


姨捨山おばすてやま伝説

姨捨山 (日本の物語絵本)

信濃の国更級の郷(現千曲市周辺)に、一人の若者が住んでいました。若者は養ってくれた伯母を母のように慕い、大切にしていました。

ところがこの国の殿様は年寄りが大嫌いで、「60歳以上になった老人は山に捨てよ」とおふれを出しました。伯母も60歳になってしまい、若者は泣く泣く背負って姨捨山に捨てに行ったのですが、どうしても捨てて帰る気になれません。

若者は、そのまま老婆を背負って帰えることにしました。山を下りる途中、若者が道に迷ってしまうと、老婆は「おまえが道に迷わないように小枝を折ってあるから、それを頼りに歩きなさい。」と教えてくれたので、無事に家に帰ることができました。そして、誰にも知られぬように、家で伯母を匿っていました。

あるとき殿様は、隣国から「灰で縄をなえ、九曲の玉に糸を通せ、さもなくば国に攻め入る」と難題を仕掛けられました。困った殿様は、おふれを出してこの難題を解ける知恵者を探し求めました。若者が老婆に尋ねると、「塩水に浸した縄を蒸し焼にすればよい。玉の一方に蜜を塗り、反対側から糸をゆわえた蟻を通せばよい。」と教えてくれました。その方法を若者から聞いた殿様はたいそう感心し、褒美は何がよいかと尋ねました。若者は、「ご褒美はいらないので、老人を捨てるのをお許し下さい」と、殿様に一部始終を話してお願いをしました。すると殿様は、“経験の尊さ”を悟り、それからは老人を大切にしたそうです。

浅川かよ子著「更級埴科の民話」ほか 参照、筆者一部脚色)


わが心なぐさめかねつ更科や おばすて山に照る月を見て

「古今和歌集」より  詠み人知らず

 

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