信州には「ワイルドな住」がいっぱい!
ぜひ信州に来て、見て、体験し、感動してください。
信濃國一之宮 諏訪大社(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮の4社)では、七年目に一度の寅と申の年に宝殿を造営し、社殿の四隅にあるモミの大木を建て替える祭りを行います。この祭りを「式年造営御柱大祭」(しきねんぞうえいみはしらたいさい)、通称「御柱祭」(おんばしらさい)と呼び、諏訪地方の6市町村21万人の氏子がこぞって参加する、天下の大祭です。
祭りでは、長さ約17m、直径1m余り、重さ10トンを超える巨木を山から切り出し、人力のみで各神社までの道中を曳いて、最後に社殿を囲むように四隅に建てます。柱を山から里へと曳き出す「山出し」が4月に、神社までの道中を曳き、御柱を各社殿四隅に建てる「里曳き」が5月に、上社・下社それぞれで行われます。諏訪の人々は氏子として全精力を注いで16本(4社×4本)の柱を地区ごとに担当するのです。
特に下社の山出し「木落し坂」は、最大斜度35度、距離100m。追い掛け綱が切られ、御柱は土煙をあげ轟音を響かせながら猛然と坂を突き進み、絶叫とも悲鳴ともつかぬ大歓声のもと、最後まで振り落とされず無事乗り切った氏子は、満場の喝采を浴び「英雄」となります。「男見るなら七年に一度、諏訪の木落し、坂落し」と謳われているほどです。
次回の御柱祭は、2028年(令和10年)です。その節は、ぜひ信州へお越しください。
鉄道ファンで秘境駅訪問家でもある牛山隆信氏による『秘境駅へ行こう!』(2013年度版)には、全国4位の田本駅(JR飯田線、長野県下伊那郡泰阜村)をはじめ、長野県内の駅が1~50位に5駅もランクインしています。
1~50位にランクインしている5駅(田本駅・金野駅・中井侍駅・為栗駅・千代駅)は、いずれもJR飯田線の駅で、85位にはJR小海線の佐久広瀬駅(長野県南佐久郡南牧村)がランクイン。
また、野辺山駅(JR小海線、長野県南佐久郡南牧村)の標高は1,345mで、鉄道駅のうち日本一標高が高い駅として知られています。鉄道以外にロープウェイ(索道)の駅まで含めると、日本一標高が高い駅は、駒ヶ岳ロープウェイの千畳敷駅(標高2,611m、長野県駒ヶ根市)です。
秘境駅ではありませんが、日本経済新聞社の2007年アンケート「足を延ばして訪れて見たい駅」の全国第2位にランクされた姨捨駅(JR篠ノ井線、長野県千曲市)も有名ですよ。駅のホームから見下ろす善光寺平は、まさに絶景!。
長野県内の小学校・中学校・高校に通った私は、一度も「クラス替え」を経験したことがありません。もう、だいぶ昔の話ですが…(汗)。
実際に何校がクラス替えをしていないかといった調査はされていない様ですが、かつては長野県内の小・中・高等学校の多くで、特に中学校ではほぼ全ての学校で3年間、クラス替えが無かったらしいです。クラス替えをするかしないかは、教育委員会ではなく学校の校長先生の裁量に任されていて、昔から長野県下の学校ではクラス替えをしないことが慣習化されて来たようです。
ただし、最近は小学校では3年から4年生になる時に、中学・高校では1年から2年生になる時に、クラス替えをする学校が増えてきているとか。教育県と呼ばれる長野県においても、子どもの人間関係が難しい時代になってきているようです…。
「クラス替えが無いのがなぜワイルドか?」だって・・・、細かいことは気にしない、ワイルドだろぉ~(笑)。
長野県の下水内郡栄村(さかえむら)にある森宮野原駅(JR飯山線)では、昭和20年(1945年)2月12日に、JR(旧国鉄)の調べで日本一の最高積雪 7m85cm を記録し、この記録は未だに破られていません。
ちなみに、公的な観測地点で最も深く雪が積もった世界記録は、1927年2月14日、滋賀県米原市の伊吹山(標高1,377m)測候所で観測した 11m82cm が世界第1位だそうです。そして、気象庁の観測記録の国内2位は、青森市酸ケ湯の 5m66cm となっています。森宮野原駅の 7m85cm は、この酸ケ湯の記録を2メートル以上上回っています。
栄村は、長野県の最北端、新潟県との境にあり、日本有数の豪雪地です。3.11東日本大震災の翌朝に発生した余震、長野県北部地震(2011年3月12日3時59分、M6.7)で震度6強の揺れにより甚大な被害を受けました。森宮野原駅の構内には、JR日本最高積雪地点を示す標柱が設置されていますよ。
厚生労働省が5年毎に実施している「都道府県別生命表」によると、全国で最も平均寿命が長い都道府県(平成22年)は、男女とも生活習慣病の予防に力を入れている長野県であることが、発表されました。
平成27年の都道府県別の平均寿命は、女性の長寿1位は前回調査の5年前と同じく長野県で87.675歳、男性の1位は滋賀県(81.78歳)でしたが、前回1位の長野県は僅差の81.75歳で第2位でした。長野県の平均寿命が長い理由について厚労省では、『長年、生活習慣病対策などに力を入れ、がんや心疾患などの死亡率が他県よりも低いため』と分析しています。
なお、その5年後の平成27年調査では、男の第1位は滋賀県となり、5回連続・20年間も男性1位の座をキープし続けた長野県は、第2位に後退してしまいました。逆に、女では再び長野県が1位となり、前回調査に続き2回連続・5年間、1位の座をキープしています。
野辺山駅(長野県南佐久郡南牧村)は、JR小海線の長野県の南端に位置する駅で、駅の標高は1,345.67m、JRグループの駅及び日本の普通鉄道の駅としては日本一標高が高い地点に位置しています。また、この駅のある小海線(小淵沢~小諸)は、日本で一番標高の高い地点(1,375m)を通る普通鉄道路線でもあります。
この他、長野県には、日本最高所の湖沼「二ノ池」(標高2905m、木曽郡三岳村)、日本一高所にある道の駅「美ヶ原美術館」(標高2,000mの美ヶ原山頂にある道の駅)、日本一高所にある国道(国道292号線の渋峠、標高2,172m)などがあります。
上田市の北にある坂城町(人口は約1万4千人)には、総事業所数(平成28年)で658事業所、工業(令和元年)において約200社もの工場があり、町民70人に一人は社長という、社長率が日本一高い町です。
また、坂城町といったら「ねずみ大根」(小さくて鼠のような形をしています)が有名!。松尾芭蕉が更科紀行のなかで、「身にしみて 大根辛し 秋の風」と詠んだとされ、古くからこの坂城町の一部地域で栽培され、親しまれてきた地大根(辛味大根)です。
そして、この大根の味を活かした絶品の食べ方が、「おしぼりうどん」です。ねずみ大根の絞り汁に、味噌のほか、ネギ、かつおぶし、くるみなどの薬味をお好みで入れ、釜揚げうどん(夏は冷しうどんでも)を汁に浸けて食べる、郷土の伝統料理です。これを食べると辛さが口の中に広がり、汗をかくほど体全体が温まってきます。ワイルドだろぉ~。
ねずみ大根のおろしを、布巾やガーゼなどで絞ることから「おしぼり」の名が付いたとされますが、「おしぼりうどん」では、他の料理の薬味のように“おろし”の部分は使わず、カスは捨てて、“絞り汁”だけを使うのが特徴的です。
長野県の東信地域の佐久市や東御市では、年間の日照時間が2,000時間前後もあり(全国平均はおよそ1,700時間/年)、全国でもトップクラスの晴天率を誇っています。
また、長野県内であっても比較的降雪量が少なく、この地の利を生かしたメガソーラー発電所の建設や、各家庭におけるソーラー発電の普及が進んでいます。
さらに佐久市(旧 臼田町)には、JAXAの「臼田宇宙空間観測所」が置かれています。ここには、日本最大となる直径64mのパラボラアンテナがあります。また、隣接する南佐久郡南牧村にある「国立天文台野辺山」には、野辺山太陽電波観測所と野辺山宇宙電波観測所が置かれています。晴天率に加えて、野辺山高原は標高1,350mにあり水蒸気量が少なく、寒冷地でありながら雪が少ないこと、まわりを山に囲まれた平坦な地形であることなどから、電波の観測に最適な場所として選ばれました。ここにある直径45mの電波望遠鏡は、ミリ波を観測できる電波望遠鏡では世界最大の口径です。
2012年10月5日の午前6時ごろ、新幹線も止まるJR長野駅の在来線ホームを、なんと「クマが歩いていた」という驚きのニュースが、県内はもとより全国中に流れました。
JR東日本の社員がクマを目撃したのは7番線ホームの北側の端で、隣の6番線には直前まで列車が止まっており、乗客もいたという話ですが、けが人などは出ませんでした。クマの体長は約1メートルで、目撃された後は線路に降りて逃げたとみられています。
この前後にも、長野市街地のあちこち(善光寺に通じる中央通りにあるホテル近く、八十二銀行本店近く、長野県庁の南側など)でクマの目撃情報が複数寄せられ、長野県警と消防が早朝から警戒を続けていた最中の出来事でした。
環境省によると、長野県内では平成21年から25年までの5年間で、1,372頭ものクマが捕獲されています。これは、全国での捕獲数の11%を占め、日本で唯一ヒグマが生息する北海道を除くと、本州以南の46都府県の中では、最大の数に上ります。
日本には標高3,000m以上の山(主峰)が21*1ありますが、そのうち14座が長野県にあり、なんと全体の2/3を占めます。また、「日本百名山*2」では、長野県には30座もの名山があります。
*1 *2 主峰の定義により「3000m峰」の数え方(数)には諸説あります。また「日本百名山」の選定に関しても様々な意見があるようですが、ここではウィキペディアに掲載されている情報を基にしました。なお、主峰・最高峰が複数の県にまたがる山は、それぞれの県にダブルカウントします。
毎年10月の第4日曜日、長野県と静岡県の県境兵越峠では、信州軍と遠州軍が「国境」をかけて綱引きで対決する、「峠の国盗り綱引き合戦」が行なわれます。
信州軍(長野県)は飯田市南信濃、遠州軍(静岡県)は浜松市水窪町の両商工会の青年部から精鋭が選出され、3本勝負を行なって、勝った方が1メートル、相手側に国境(県境)を広げることができます。
昭和62年に始まり、令和元年で第32回大会を迎え、対戦成績は信州軍の17勝15敗で、国境は現在の県境より2m静岡県側にあります(信州軍が2m勝利し国境を拡大中)。令和2年以降は、コロナ禍にあって開催の中止が続いています…。長野県に海が訪れるには、まだまだ時間が掛かりそうです(笑)。
茅野市にある「神長官守矢史料館」は、地元出身の建築家・藤森照信氏による設計ですが、敷地内には藤森氏による他の作品も築造・移築され展示されています。その一つ、2004年に建てられた「高過庵」は、米TIME誌の「世界でもっとも危険な建物トップ10」に“ピサの斜塔”などと並んで選ばれました。ワイルドだろぉ~。
高遠庵の隣には、これまた奇抜な茶室「空飛ぶ泥船」が建っています。吊り橋の様に、左右に立てられた主塔からワイヤーで吊るされた“泥船”が、まさに地上数メートルのところに浮かんでいます。藤森さん曰く、「最初は“クジラ”をイメージしたのだけど、市民や職人さんと一緒に作っていて『壊れるんじゃないか』ということになり、長さを2間から1.5間にしたら、“フグ”になっちゃった」(笑)とのことです。藤森照信氏は、日本で最も影響力のある建築家の一人であり、建築史家でもあります。木材、葦や藁、粘土や石といった、自然素材を用いる彼の建築スタイルには、日本古来の文化や歴史が通底しているようです。
長野県で地元ドライバーは、信号待ちで停車している際に、滅多にウィンカーを出すようなことはしません。ワイルドだろぉ~?。
この鉄則は、レーンの先頭にいようが、後ろに並んでいようが、関係ありません。理由は、私が想像するに、たぶん長野県民は根が“ケチ”なので、『早くウィンカーを出したら、ウィンカーの電球が消耗するし、バッテリーの充電は減るし、もったいないから』です(笑)。
この、“長野県あるある”ネタは、今に始まったことではありません。ずいぶん前から言われていて、県も警察も十分に分かっている、長野県の象徴的な県民性のひとつです。
(ご参考→)『県民ホットライン ~長野県の運転マナーについて~』
上記の意見に対する県の回答には、「継続的な啓発を続けてまいりたいと考えています。」と記されていますが、直るわけがありません。だって、啓発をすると言っている主が、この県民性が染みついた長野県民その本人なのですから、県職員のネームプレートを外して車のハンドルを握ったら、上記のとおりです…。もし本気で取り組んだら、「継続的に取り組む」必要など無く、たった一年で変われますって!。
長野県岡谷市と塩尻市の境にある塩嶺(えんれい)御野立(おのだち)公園で、毎年5月と9月に開催される「塩嶺御野立記念祭春季例祭」は、行事が『気をつけ、礼』と、たった20秒で終わることから、日本一短い祭りとされています。
1880年(明治13年)年6月の明治天皇巡幸を記念して、地元有志が1915年(大正4年)に碑を建立して、この祭りを始めて以来、既に100年余の歴史があります。
祭では、まず岡谷市役所の職員が、『短い中にも心を込めてお願いします』と合図します。すると、両市の観光協会や商工会議所の関係者ら約130人が、公園内の明治天皇巡幸記念碑に向かって約20秒間一礼し、祭りは終わます・・・。
なお、祭の後に催される懇親会では、岡谷市特産のウナギのかば焼き、馬肉の肉じゃが、日本酒の地酒が振る舞われますよ!。
平成28年8月に、長野県が県政モニターに登録している県民に行ったアンケート調査(回答者数794人)で、長野県民の9割が、県歌「信濃の国」を一部でも歌えると回答しています。
1番から6番まで「すべて歌える」と回答した人は、全体で18.6%でした。「1番は歌える」と回答した人は60.9%、「1番は歌えないが、部分的に歌える」は11.3%で、これらを合計すると、90.8%の長野県民は、長野県歌「信濃の国」を部分的にでも歌えることが、調査で明らかになりました。ちなみに、70歳以上の人に限ると、約4割(36.6%)もの県民が「すべて歌える」と回答しています!(驚)。
「信濃の国」は、日清戦争が教育現場に悪影響を及ぼすことを憂いた信濃教育会が、1900年(明治33年)に作った唱歌です。当時、長野県師範学校教諭だった、浅井洌が作詞、北村季晴が作曲しました。当初、「信濃の国」は師範学校で歌われ、その卒業生が県内の学校で生徒に教えたことにより、県内各地に広がって行きました。そして1968年(昭和43年)に、正式に県歌として制定されました。
このサイトは、長野県公式サイト「信州においでよ!信州アルクマキャラバン」のパロディサイトです。
「ワイルドなアルクロクマ」は、長野県観光PRキャラクター「アルクマ」のアイコラです。何卒ご理解とご容赦を <m(__)m>